昨年10月に事務所を構え開業しましたが、その頃からかその少し前の無職期間中からなのかよく分かりませんが、食卓に「もやし」の出番が多くなりました。ほぼ毎日です。奥さんはモヤシのヒゲを丁寧に取ってくれています。20円30円程度のモヤシは手間暇愛情かけられて価値のあるものになっています・・・が、しゃりシャリしゃりシャリとほぼ毎日です。ハンバーグの横に付け合わせで居たり酢の物の中に居たり、味噌汁の中にまで居たりします。もちろん今の寒い時期には鍋の中にしっかりと居らっしゃいます。
今日は私の肛門様の横にも居ました。幾ら事務所が小学校の校門前にあるとは言え、私の肛門様からそのままの姿で出て来る必要もないでしょうに・・・消化さえ出来なくなったのかもしれません。もう食べ飽きてしまっているのですが、手元不如意の私は、我が家では声を大にして「もやしは一生分食ったのでもういらん。」と主張する事は儘なりませんので、この場をお借りして、密かに吐き出させて頂きました。
人には「ぶに」があります。人生における割り当て分の事です。例えばお金を使うだけ使って人生で決まっているブニを使い果たすと、その人には死が訪れます。食べたいだけ食べていればその人のブニは終わってアポーンしてしまいます。私の場合はモヤシを心配しているのです。お金とか食事とか、私のブニは幾らでも残っていると思われる人生なのですが、何故かモヤシの摂取量がこのまま続くと、近いうちに人生で神様から与えられたブニをオーバーしてしまうのではないかと。三途の川を渡って、あの世の受付に到着した時に受付の方に面と向かって言われる訳です、「あっ、新澤さん。あなたの死因はモヤシのブニをオーバーしてしまったからですね。ご愁傷様です。」と。そんな理由ではご先祖様に合わせる顔もありません。死んでも死にきれません。
モヤシが食卓に上る度に、そんな事を想像してしまうのです。ほぼ毎日です。残せばよいのでしょうが、そんな育てられ方をしていないので、頑張って残さず食べてしまうのです。しかし、体は拒絶反応を示してしまい消化出来ない分が、そっといたずらに顔を出したりする訳です。
以上、奥様には直接言えない私の秘密にしている想いをほぼ誰も見ていないと思われるここに吐露させて頂きました。文章の途中、おっさんのお見苦しい姿が想像された方も居るかと存じますが、何卒ご容赦下さいませ。
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